動画ID
sm43824192
動画タイトル
大雨の春雷の中催された東大寺大仏殿の落慶供養
投稿日時
2024年5月23日 20時38分02秒
長さ
0:25:11
投稿者
石田晋一 (ID:125460221)
動画説明
西暦1,195年4月23日①和田義盛②梶原景時重源は「公家や寺家の時代は終わり、これからは武家の時代になるのかのう」と独り言を言った。また、門内に入ろうとした見物の僧兵達が御家人と乱闘を起こした。梶原景時がそれを鎮めようとするが、その態度が傲慢無礼だとして一触即発の事態となった。源は結城朝光を呼んで事態を収拾する様命じた。結城は僧兵達の前で跪き「前右大将家の使者である」と言った。続けて「この東大寺は平清盛の為に炎上し、礎石ばかりを残して灰塵と化してしまいました。それには僧兵達が最も悲嘆した事でしょう。源氏はたまたま後援者となり、再建の始めから供養の今日に至るまで援助してきました。そればかりか、仏道の修行を妨げる悪魔の障害を排除し、落慶法要の為に数百里の道のり越えて、この大伽藍に詣でました。僧兵達は、此の事を何故喜ばないのでしょう。武士であっても、仏道への帰依を思い、大きな事業に携われた事に喜びを感じました。知恵の有る僧侶が何故秩序を乱し、自分達の寺の再興を妨げようとするのでしょう。それはとても不適当な考えですので、その理由を承りましょう」という主旨の発言をすると、僧兵達は直ぐに自らの行為を恥じ、後悔し、数千の僧兵が一斉に静かになった。この日無数の民衆が大仏殿に集まったが、前回の西暦752年5月26日の開眼供養で起きた混乱の反省から、九条は回廊の中には民衆を入れなかった。宵が迫る頃、四面の回廊に灯が灯され大仏を照らし、万灯会が催された。重源は合掌し「苦しかった勧進の日々、周防国の杣山での苦難を思い返し「大仏殿内に据えるはずの脇侍二菩薩と四天王像は、間に合わなかった。回廊は仮設である。南大門・八幡宮社殿・七重塔・僧房は、まだ着工にも至っていない。多くの仏像も造らねばならない。まだまだこれからだ。儂は生きるぞ」と気を引き締めた。源頼朝が、再建された東大寺大仏を初めて参拝する。その後重源が、源の居る東南院の御所を訪ねると、源は「見事な大仏、そして稀有壮大な東大寺大仏殿。重源殿、良くぞやってくれた」と重源の手を両手で握った。重源は「いえ、これも偏に源殿のお力添えの賜物、感謝致します」と返した。源は「これだけのものを造った陳和卿なる者にも是非に会いたい」と、陳に面会を申し入れた。しかし陳は「平氏や源義経等多くの人々を殺した罪業の深い人間であるので会いたくない」とし、面会を断った。重源が源にそれを伝えると、源は怒る事無く、逆に以下の褒美を与えた。①奥州藤原氏征伐で着用した甲冑②鞍付きの馬3頭③金銀しかし陳は「兜は鋳直して釘に使ってください。鞍は何かの役に立つでしょう」という...宇宙一元化 公式HPhttps://universe-centralization.com/top.html

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